奈良第15番 | |
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宗 派 | 霊山寺真言宗 |
本 尊 | 薬師如来 |
大阪再発見 霊山寺へ |
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[参考資料:『奈良・大和の古寺あるき』 実業之日本社] |
霊山寺の起源は、右大臣小野富人(小野妹子の息子と伝わる)は壬申の乱に関与したため、672年(弘文元年)官を辞し、この地に閑居していたが、 684年(天武12年)薬師如来を感得。登美山に薬草湯屋を造り、薬師三尊仏を祀ってところ、病気平癒に効能があるとして、富人は人々から「鼻高仙人」と呼ばれ、敬われるようになった。 |
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霊山寺の入口。霊山寺は山門がなく、大弁財天の朱塗りの大鳥居が参拝者を迎えてくれる。 | 霊山寺本堂(鎌倉時代:国宝)。1283年(弘安6年)に改築され、1942年(昭和17年)解体修理が行われている。 |
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大弁財天堂。現世利益の道場として1935年(昭和10年)に建立された。本尊に弁財天の本地仏聖観世音菩薩を祀る。 | 三重塔(国重文)。 鎌倉期の純和様式で、1283~84年(弘安2~3年)頃に建立された。 |
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鐘楼(国重文)。室町時代初期の建立、袴腰付入母家造りの桧皮葺。梵鐘は1644年(寛永21年)の鋳造。 | 行者堂。本尊に神変大菩薩(役行者)、脇侍に不動明王と青面金剛を祀る。 | 開山大師堂。古くは開山行基菩薩を祀っていたが、江戸時代より弘法大師を本尊とし、歴代徳川将軍の位牌を祀る |
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当寺の名付け親である菩提僊那の墓と伝わる。1987年(昭和62年)石塔及び埋葬地と伝わる場所を発掘調査するも、没後500年(鎌倉時代)の供養塔と判明。 | 本堂より、約1Kmの山道を登ったところにある霊山寺奥之院。弘法大師が留錫の時大龍神の霊験を感得し、大龍神を弁財天として奥之院へ勧請したと伝わる。 | 十六所権現(国重文)。明治の神仏分離以前は霊山寺の鎮守社であった。社殿は5棟並んでいるが、中央の3棟は棟木墨書によれば、1384年(至徳元年)の建立。 |
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八体仏霊場。十二支と星座を組み合せ、生まれ年・干支、生まれ日・星座のお守り本尊霊場として、原型制作より 5年をかけ1991年(平成3年)に完成した。 右より、阿弥陀如来、不動明王、大日如来、普賢菩薩、勢至菩薩、文殊菩薩、虚空蔵菩薩、千手観音菩薩を安置 する。 |
黄金殿(右)・白金殿(左)。黄金殿は大弁財天堂の奥本殿として、1961年(昭和36年)の建立。堂の内外に22回下地漆塗をし、3枚掛の金箔押が施されている。 白金殿は1977年(昭和52年)建立、堂の内外に22回下地漆塗をし、その上にプラチナの箔押が施されている。 |
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