法華寺は光明皇后が父藤原不比等の邸宅跡に創建した寺院である。720年(養老4年)不比寺が歿し、光明子がここを継ぎ、後に皇居宮とした。741年(天平13年)聖武天皇により、国分寺・国分尼寺の詔が出され、745年(天平17年)5月、皇后宮を宮寺としたのが法華寺の草創とみることができ、「法華寺」の名が正史に現れるには、747年(天平19年)である。
東大寺・金光明護国之寺に対し、総国分尼寺・法華滅罪之寺とされ、当時は七堂伽藍を備え、入寺する尼僧が後を絶たない程の大寺であったが、平安遷都に伴い寺勢は次第に衰退した。1180年(治承4年)平重衡の南都焼打ちで、法華寺も大きな被害を受けた。
鎌倉時代になって、西大寺中興の祖叡尊が法華寺の復興にも力を入れ、寺内に戒壇を設け、尼僧たちに授戒を行った。
室町時代には1499年(明応8年)、1506年(永正3年)と相次いで兵火に遭い、加えて大地震や火災により、昔日の面影を偲ぶものは殆ど無くなってしまったが、桃山時代になり、豊臣秀頼と母・淀君の発願で片桐旦元が奉行となり、1601年(慶長6年)から7年をかけ、本堂・鐘楼・南門・築地などが再建され、現在に至っている。
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