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大阪第4番
今宮戎神社
主 祭 神 天照坐皇大神宮
事代主命  素戔嗚命
月読命  雅日女命
大阪再発見・今宮戎神社へ
参拝メモ
[参考資料:『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編)平凡社]

今宮神社の創起は社伝によると、600年(推古天皇8年)聖徳太子が四天王寺建立に際し、同地西方の鎮護として祈請奉祀したのに始まると伝える。古代、付近は海浜地帯で漁民の集住する地であり、当社はそれら漁民の「エビス信仰」すなわち豊漁をもたらす神として祀られるようになったと考えられる。 平安時代、当社に御厨子所が設けられ、宮中へ鮮魚を奉献する「朝役」を勤仕するようになった。今宮の漁民は今宮供御人と呼ばれるようになり、中世には朝廷から与えられた供御の余剰魚介類を販売する特権を有し、また祇園社の神人としての権威により広く商業活動をするようになった。

当社の発展は魚労民であった今宮供御人が商売活動を活発に行うようになったとき、本来の豊漁神から商売繁盛の神と変わり、今宮供御人の活動と共に各地へその信仰が伝播していったと考えられる。

近世初頭、豊臣秀頼より社殿造替と社領の寄進を受けたと伝え、江戸時代になると「十日戎」の祭礼が恒例化した。

今宮戎正面鳥居 今宮戎拝殿
今宮戎神社正面鳥居。 戎神社拝殿。神社の建物は1945年(昭和20年)の戦災で、ことごとく焼失し、現在の拝殿・本殿は1956年(昭和31年)の再建。
境内摂社・大国社 境内末社・稲荷社
境内摂社・大国社。社殿の東側にあり、大国主命、五男三女八柱神
を祀る。1966年(昭和41年)の建立。
境内末社・稲荷社。社殿の北東部にあり、宇賀御御魂神を祀る。
1966年(昭和41年)の建立。
今宮戎神社東門 社務所に続く建屋 神社の北側にタワーマンションがそびえる
今宮戎神社東門。正面に見えるのは社務所。 社務所に続く建屋。十日戎の時はこの1階部分の窓が取り外され、参拝客が福乙女たちに吉兆を付けて貰うべく、福笹を持ち殺到する。 いつの間にか神社の北側には地上33階、106.51mのタワーマンションがそびえており、景観が一変していた。。
植木の鉢植えの退避場所 阿波野青畝の句碑 小西来山の句碑
十日戎の時には、境内置かれている鉢植えの植木の退避場所。神社とは道を1つ隔てた国道43号戦に面してある。 境内に建つ阿波野青畝の句碑。1989年(平成元年)建立。 「陋巷(ろうこう)を 好ませたまひ 本戎」 境内に建つ小西来山の句碑。1979年(昭和54年)建立。筆跡は来山の真筆から採られている。
「蕣(あさがお)の 雨天にしぼむ 是非もなし」。来山夫婦の墓は神社に隣接する海泉寺境内にある。
ご朱印