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大阪第3番
阿部野神社
主 祭 神 北畠親房
北畠顕家
大阪再発見・阿部野神社へ
参拝メモ
[参考資料:阿部野神社パンフレット]

当社の鎮座地は北畠顕家が足利軍と戦った古戦場と伝わる地であり、当社のお旅所に顕家の墓があるが、この墓の存在がきっかけとなり、1878年(明治11年)顕家を祀る神社創設運動が近隣の人々より起った。明治政府もこれを受け、1881年(明治14年)顕家とその父北畠親房を祭神とする神社創建の方針を固め、翌年に太政官の正式決定が出され、 阿部野神社と号して別格官幣社に列せられた。1887年(明治20年)には社殿が完成し、1890年(明治23年)に鎮座祭が斎行された。

北畠顕家は1330年(元徳2年)13歳の若さで左中弁となり、翌年には参議で左中将を兼ねるという異例の昇進をしている。1333年(元弘3年)16歳陸奥守に任じられ、義良親王を奉じて陸奥へ下り、奥羽はたちまちにその威風に靡いた。1336年(延元元年)足利尊氏が謀反を起こすと、上洛して尊氏を九州に敗走させた。その後、尊氏が勢いを盛り返したため、再度上洛し各地を転戦したが、1338年(延元3年)5月22日、阿倍野・石津の合戦で敗れ、21歳で戦没した。

阿部野神社正面鳥居 阿部野神社拝殿
阿部野神社正面入り口の鳥居。 阿部野神社拝殿。創建時の社殿は1945年(昭和20年)の空襲で焼失し、現社殿は1968年(昭和43年)に再建されたものである。
北畠顕家の像 境内社・勲之宮(右)と祖霊社(左)
北畠顕家の像。この像は阿部野神社御鎮座百年祭記念の一環として、1989年(平成元年)に建てられた。 境内社・勲之宮(右)と祖霊社(左)。
勲之宮には顕家に従い、阿倍野・石津の合戦で戦死した南部師行とその郎党108名を祀る。
>阿部野神社西側入口 奥宮(御魂振之宮) 祓戸神社
阿部野神社西側入口。 境内社・奥宮(御魂振之宮)。天照大御神、三輪大神、少彦名大神、菅原道真を祀る。 境内社・祓戸社。祓戸大神を祀る。
旗上稲荷社 旗上芸能稲荷社 土宮
境内社・旗上稲荷社。豊受稲荷大神、高倉大明神、白鷹大明神を祀る。五穀豊穣・商売繁盛にご利益あり、旗上は一旗揚げるにも通じ、事業の成功を祈る参拝者が多い。 境内社・旗上芸能稲荷社。大宮能売大神(天宇受売命)を祀る。芸能上達の守護神。 境内社・土宮。地主神の白姫大明神(大土地地主之神)を祀る。
武徳殿 社殿前の広場 生田花朝女の句碑
武徳殿。入口には「柳生新陰流兵法 大和柳生会阿倍野神社道場」の看板が架かっていた。 社殿前の広場。周りには近在の学校の校歌の碑が数多く建てられている。 生田花朝女の句碑。「飯蛸や 春の景色は 淡路より」
生田花朝女:大正~昭和の大阪を代表する日本画家。俳句は父南水に学ぶ。1878年(昭和53年)歿、享年88歳。
ご朱印