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正倉院
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正倉整備工事
[参考資料:『正倉院正倉整備工事第4回現場公開』パンフレット]

正倉院の正倉の創立年代を伝える記録はないが、756年(天平勝宝8年)頃には成立していたと考えられる。この年は聖武天皇が崩御した年で、その七七忌に光明皇后が聖武天皇ゆかりの品々を東大寺大仏に献納したのが、正倉院の始まりとされる。
 正倉は創建以来1250余年の間には、幾多の修理が加えられており、記録に残るだけでも1031年(長元4年)以来、数十度の修理が行われているとのことで、近代では1913年(大正2年)には正倉を解体して大修理が行われた。平成23年度より行われている整備工事は、大正2年の解体修理から100年が経過し、傷みが徐々に進行して雨漏りが懸念される状態となったことから、屋根の葺替えを主とする事が行われており、今回その現場公開が行なわれたので、これに応募し、見学することが出来た。
 工事は平成26年4月には完了し、正倉外構の公開は平成26年11月から再開行われる予定である。     

[工事見学日 平成25年8月30日]
正倉院正面入り口 正倉院横からの全景 瓦の葺き終わった屋根の部分
正倉院正面入り口。正倉(国宝)は工事中の風雨から守るため、素屋根で覆われている。 正倉を横からの全景。普段の正倉院外溝見学の時もこの門から入り、全景を見学できる。 瓦の葺き終わった屋根の部分をカメラに収める見学の人々。
屋根の北東コーナー 屋根の南西コーナー 天平瓦の部分
北東のコーナーから写す。新らしく葺かれた瓦は北面(右側)、西面(左側)共に現代製法で製作された。 南西のコーナーから写す。南面(右側)の両サイドの角は天平瓦の再利用。 天平瓦の部分をアップ。これらの瓦は1250年の風雪に耐えてきた。
南面の瓦(中央部) 東面の平瓦(中央部) 東面の平瓦(中央部)
南面の瓦(中央部)。各時代に葺き直された瓦が再利用されている。軒丸瓦は天保、丸瓦は慶長、軒平瓦の室町・元禄、平瓦は鎌倉時代に葺かれた瓦。 東面の平瓦(中央部)。左側は今回製作された新しい瓦(伝統製法)、右側(瓦にラベルが貼ってある)の瓦は室町、慶長の再利用。 東面の平瓦(中央部)。手前は室町、慶長の瓦(中央の写真の延長)。色の変わった部分は江戸、明治の瓦。その奥は新しい瓦(伝統製法)。
鬼瓦や軒丸瓦の展示コーナー 鬼瓦や軒丸瓦の展示コーナー 南東隅二の鬼瓦と鳥衾瓦
各時代に葺かれた鬼瓦や軒丸瓦の展示コーナー。 南東隅二の鬼瓦(再用)と鳥衾瓦(保存)。いずれも1603年(慶長8年)に葺かれた瓦。 
南倉の扉に取りつけられた勅封 北倉は内部が公開された 北倉の内部
南倉の扉に取りつけられた勅封。これは本物ではなく、
ニュースで流れる勅使による秋期定例開封は、東宝庫と西宝庫で行われる。
北倉は内部が公開された。 奥の部分で新しい柱で補強している部分は、今回の整備工事で屋根の重量に耐えるために追加補強された。
校倉造りの内側 正倉の外観 床下の柱
北倉。校倉造りの内側(上の写真)と正倉の外観(中央の写真)。正倉院外溝見学は幾度か来たが、これ程近くでじっくり見たのは今回が初めて。 床下の柱。割れの広がりを防ぐためか、各所に鉄の輪っかがはめられている。
正倉から東宝庫を望む 正倉から西宝庫を望む 正倉から大仏殿を望む
正倉から東宝庫(上の写真)と西宝庫(右側の写真)を望む。 正倉院の宝物は1953年(昭和28年)に出来た東宝庫
と1962年(昭和37年)に出来た西宝庫に移されている。
正倉から大仏殿を望む。