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奈良・鎮護の道
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奈良第2番
春日大社・1
主 祭 神 武甕槌命、経津主命
天児屋根命、比売神
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・更新記録
 '14・01・26 境内建屋、春日大社旧跡の写真追加
参拝メモ
[参考:『春日大社のご由緒』 春日大社]

春日大社の創立は、鎌倉初期に書かれた由緒記『古社記』には、四所神殿の創建を、768年(神護景雲2年)としている。創建の目的は公的には平城京の守護のため、私的には藤原氏の氏神を都近くに造営するためであった。
  しかし、756年(天平勝宝2年)の『東大寺山堺四至図』(正倉院御物)には東西軸線上の御蓋山とその西麓の「神地」が描かれており、1977年(昭和52年)に現春日社頭を広く取り囲むと推定される奈良時代初期の築地塀跡や祭祀遺物などが発見されており、神護景雲以前の古い信仰遺蹟の存在が指摘されている。
  これらのことから、春日の神々の鎮座は奈良朝の初め、平安京鎮護のため、まず武甕槌命を鹿島神宮から御蓋山頂に奉還し、その西麓の神地から遥祭していたが、その後神護景雲2年に至り、称徳天皇の勅命により、藤原永手らが、その神地に神殿を建て、香取神宮の経津主命、藤原氏遠祖の枚岡神社の天児屋根命と比売神の4柱を併祀したのが始まりとされる。

春日大社一の鳥居 春日大社南門
春日大社一の鳥居(国重文)江戸時代の建立。 春日大社南門(国重文)南北朝時代の永徳2年~嘉慶2年(1382~90年)の建立。
春日大社拝殿 境内にそびえる杉の大木
春日大社中門と左右に延びる御廊(共に国重文)中門と東廊は1613年(慶長18年)、西廊は宝永年間(1704~11年)の建立。本社社殿は中門を入ったところにあるが、一般参拝者はここまで。 境内直会殿(なおらいでん)前の大杉。高さ約25m、周囲約8.7m
樹齢800~1000年と言われる。
春日大社二の鳥居 南門前に建つ石灯篭 苔むした石灯篭
二の鳥居 中門前の石灯篭。石灯篭は境内に約2000基有ると言われる。 苔むした灯篭
本殿東回廊の前に建つ青銅製の灯篭 東回廊 直会殿
本殿東回廊(右の写真)の前に建つ青銅製の灯篭 東回廊(国重文)。1613年(慶長18年)の建立。釣り灯篭は境内全体で、約1000基有る言われる。 直会殿(国重文)。江戸前期の慶安3~5年(1650~52年)の建立。ここでも軒下に釣り灯篭がみられる。
着到殿 車舎(くるまやどり)
着到殿(国重文)916年(延喜16年)創建。現在の建物は
1414年(応永20年)建立。春日祭の折、勅使が着到の儀式を行うところで、天皇行幸の際には行在所としても使われた。
南門手前にある「影向石」。この石のいわれは、神様の憑代として祀られた「磐座」。ここより赤童子(若宮神社
の祭神)が現れた「出現石」。雷で落下した社額を埋納
した「額塚」など、諸説あるという神石。
車舎(くるまやどり:国重文)859年(貞観元年)創建。
現在の建物は1632年 (寛永9年)建立。 天皇の行幸や勅使、藤原氏高官の参拝の折、牛車を入れた倉庫。
桂昌殿(奈良市指定文化財)
1699年(元禄12年)徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院の寄贈による所から「桂昌殿」と呼ばれているが、正式には「祈祷殿」といい、天下泰平の祈願を修する建物。
竃殿(へっついどの)。当社例祭春日祭の神饌を調理する場所で、中にかまどが設けられている。
末社竈殿神社(祭神・興津彦神、興津姫神)を祀る。
酒殿(さかどの)。春日祭にお供えする神酒を醸造する場所で、明治以降は神官に代わり、地元の酒造会社が毎年交代で醸造している。
末社酒殿神社(祭神・酒弥豆男神、酒弥豆姫神)を祀る。

春日大社旧跡
御神木「影向之松(ようごうのまつ)」。一の鳥居を入ってすぐ、参道の右側にある。
春日大明神が降臨し、萬歳楽を舞ったと伝える松。12月17日に行われる「春日若宮おん祭」の際には、この松の前で細男座、田楽座、猿楽座の芸能が披露される。
春日大社東西両塔跡の解説板(左)。東塔跡(中央)。西塔跡(右)。一の鳥居を入って参道の左側、国立博物館の西側にある。神仏習合思想に基づき神社にも仏教の塔が建立された代表的遺構。1965年(昭和40年)の発掘調査で規模や構造が明らかになった。西塔は1116年(永久4年)、東塔は1140年(保延6年)に建立されたが、1180年(治承4年)平重衡の南都焼打に遭って焼失、相次いで再建されたが、1411年(応永18年)の雷火で再び焼失。その後は再建されなかった。
ご朱印
春日大社朱印