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奈良・鎮護の道
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奈良第13番
宗 派 聖徳宗 総本山
本 尊 釈迦三尊像

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参拝メモ
[参考資料:『奈良・大和の古寺あるき』 実業之日本社]

法隆寺は607年(推古天皇15年)聖徳太子が父用明天皇の病気平癒を願って建立した。『日本書紀』によれば、 創建時の法隆寺は670年(天智天皇9年)に焼失し、間もなく再建されたのが、現在の西院伽藍である。それ以前の寺は南大門の東にある若草伽藍跡に あったと言われ、塔と金堂が一直線に並ぶ四天王寺式の伽藍配置であったことが発掘結果で判明している。
  天平時代には鐘楼や経蔵などが建てられ。739年(天平11年)には、行信が上宮王院(東院)を建立。八角堂(夢殿)を中心に伽藍が建てられ、寺観が整えられ、平安時代には西院伽藍では大講堂が完成した。 また、この時代には東院を中心に、 聖徳太子を崇拝する人々の信仰を集め、大発展を遂げた。東院が造営された頃より次第に官寺化し、平安時代以降には興福寺の支配下に入っている。
  その後、戦国時代の混乱で寺勢は一時後退したが、近世になると豊臣秀吉徳川家康など、時の権力者から手厚い保護を受け、慶長年間(1596~1615年)と元禄年間(1688~1704年)には大修理が施され、寺は完全に復興し、現在に至っている。

法隆寺南大門 法隆寺金堂
法隆寺南大門(国宝)。1435年(永享7年)に焼失、1438年(永享10年)に再建された。 法隆寺金堂(国宝)は世界最古の木造建築。飛鳥時代の建立。1949年(昭和24年)火災のため壁画が焼損。これを契機に翌年には文化財保護法が制定された。
法隆寺五重塔 法隆寺
法隆寺五重塔(国宝)。高さは約31.5メートル(基壇上より)で、
わが国最古の五重塔 。
法隆寺夢殿(国宝)東院伽藍の中心的建物。聖徳太子等身と伝える秘仏救世観音像(国宝:飛鳥時代)を安置する。
     
法隆寺中門 法隆寺西円堂 法隆寺
法隆寺中門(国宝)白鳳建築の代表作。門の左右に建つ金剛力士像は711年(和銅3年)の作と伝わり、日本に残っている最古のもの。 法隆寺西円堂(国宝)。718年(養老2年)橘三千代(藤原不比等夫人)の発願により行基菩薩が建立。現在の建物は1250年(建長2年)の再建。 法隆寺三経院(国宝)鎌倉時代。聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈されたこと(三経義疏)にちなんで、建てられた。
法隆寺聖霊院(国宝) 東室(国宝:左側)と妻室(左側) 綱封蔵(国宝)
聖霊院(国宝)鎌倉時代。聖徳太子信仰の高揚に伴い、聖徳太子像(平安末期)を安置するために東室の南端部を改造した。 東室(ひがしむろ 国宝:左側)奈良時代と妻室(つまむろ 国重文:右側)平安時代。いずれも僧侶が生活する僧坊。 綱封蔵(国宝)奈良時代。寺宝を保管するための蔵で、かつて法隆寺には、このような倉が三十三棟も建ち並んでいたという。
法隆寺食堂(国宝)と細殿 法隆寺東院鐘楼(国宝) 絵殿と舎利殿(国重文)
食堂(じきどう 国宝:左側)奈良時代と細殿(さいでん 国重文:右側)鎌倉時代。食堂は元は政所という法隆寺の寺務所だったが、平安時代に入り、僧が食事をする食堂として使われるようになった。 東院鐘楼(国宝)鎌倉時代。内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊されており、中宮寺から移されたものといわれている。 夢殿観音堂の北側に建つ絵殿(左側)と舎利殿(右側)。1つ屋根の建物で鎌倉時代の建立(国重文)
ご朱印
法隆寺朱印