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京都・楽土の道
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京都第44番
三室戸寺
宗 派 本山修験宗
本 尊 千手観音菩薩
参拝メモ
[参考資料:『全国寺院名鑑』&『日本歴史地名体系』(京都府編:平凡社) ]

三室戸寺は770年(宝亀元年)、三室戸寺の奥、志津川上流の渓流渕より出現した千手観音菩薩を、光仁天皇は奈良大安寺の行表を召し、本尊と御堂を賜り祭らせた。御堂はそのまま寺として、御堂戸寺の勅号が賜った。平安時代には桓武天皇を始め、歴代天皇や貴族の崇敬を集め、堂塔伽藍が整い、霊像の霊験を求める庶民の参詣で賑わった。
 1099年(康和元年)三井寺(園城寺)の隆明上人が中興し、白河法皇の皇子静証法親王が当山に入堂、寺号を三室戸寺とした。
 1462年(寛正3年)出火により、伽藍はすべて烏有に帰したが、1482年(文明14年)土御門天皇の勅により、喜撰嶽西谷志津川の地から、現在地に移り、堂宇を再建したが、1573年(天正元年)織田信長足利義昭を宇治槇島に囲んだ時、当寺の宗徒が義昭に加担したため、信長は寺領を没収したため、寺運は衰退した。
 その後、1639年(寛永16年)後陽成天皇の皇子道晃法親王によって復興したが、明和年間(1764~72年)頃、堂宇が再び廃頽し、1814年(文化11年)、法如和尚の力により、現存する本堂が再興された。

三室戸寺山門 三室戸寺本堂
三室戸寺山門 三室戸寺本堂(京都府文化財)。現在の本堂は1814年(文化11年)の建立。
三室戸寺三重塔 三室戸寺阿弥陀堂
三重塔(京都府文化財)。もとは播磨国佐用郡三日月村(現兵庫県
佐用郡佐用町)高蔵寺に在ったもので、1704年(宝永元年)の
建立。1910年(明治43年)当時に移された。
阿弥陀堂(京都府文化財)。親鸞聖人覚信尼が、聖人の父日野有範の墓上に阿弥陀堂を建立し、阿弥陀三尊を安置し、祖父の菩提を弔ったと伝わる。堂に掲げられている「四十八願寺」の額は有範が隠棲していたお寺の額と伝える。
     
三室戸寺本堂への階段 三室戸寺鐘楼 三室戸寺源氏の庭
本堂への階段。 鐘楼。梵鐘には「承応二年二月廿八日 円城寺長吏二品道晃法親王」の銘がある。 浮舟古跡碑。源氏物語宇治十帖内の浮舟の古蹟で、もとは浮舟社という社であったが、江戸時代石碑に改められた。
宇賀神像 境内に建つ芭蕉の句碑 三室戸寺本堂前の蓮
境内に建つ宇賀神像。財運・金運の蛇神で、頭は老翁、体は蛇で蓮に乗る。 境内に建つ芭蕉の句碑。「山吹や 宇治の陪炉の 匂ふ時」1691年(元禄4年)の作。 6月下旬~8月上旬には本堂の前に置かれている約250鉢に色とりどりの蓮の花が咲く。
三室戸寺石庭 三室戸寺 新羅神社
1989年(平成元年)に竣工した枯山水庭園 4月下旬~5月上旬には約20,000株のつつじ(奥の方)が、6月~7月上旬には約10,000株のアジサイ(手前)が咲き乱れる。 三室戸寺入口に祀られている新羅大明神。貞観年間(859~77年)天台宗座主智証大師が当山に留錫した時、疫病退散祈念のため勧請した。もとは本堂の東に在ったが1955年(昭和30年)現在地に再建された。
十八神社鳥居 十八神社本殿 末社・子守神社、稲荷神社、神明神社
本堂奥から十八神社への登り口(左)。一段高い場所に建つ十八神社本殿(中央:国重文)。末社3社(右)、手前から子守神社、稲荷神社、神明神社。
本殿は1487年(長享元年)建立。元は三室戸寺の鎮守であったが、明治初年の神仏分離で、寺の管理を離れている。
ご朱印
三室戸寺朱印