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京都・楽土の道
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京都第48番
浄瑠璃寺
宗 派 真言律宗
本 尊 九体阿弥陀如来
(根本本尊) 薬師如来
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[参考資料:小学館ウィークリーブック 『古寺を行く・浄瑠璃寺』]

浄瑠璃寺の起源は当寺に伝来する『浄瑠璃寺流記事(国重文)』には1047年(永承2年)当麻出身の義明上人を本願、阿知山大夫重頼を檀那(施主)とし、薬師如来を本尊として創建されたことを記す。当初は西小田原寺と呼ばれ、大寺のあり方に飽き足らない僧侶の隠遁所・別所だったという。
 1107年(嘉承2年)本尊薬師如来を西の堂に移して、新たに本堂を作った。これが現在の本堂九体阿弥陀堂で、1157年(保元2年)に現在地に移したと伝える。 1150年(久安6年)興福寺権別当をつとめた興福寺一乗院門跡の恵信(藤原忠道の子)は、浄瑠璃寺を一乗院の御祈所とし、坊舎などをまとめ、庭園を整備していった。 以後、興福寺末寺として続いたが、 明治初年に真言律宗に転じ、現在に至っている。

浄瑠璃寺山門 浄瑠璃寺九体阿弥陀堂
浄瑠璃寺山門 浄瑠璃寺九体阿弥陀堂(本堂)。1107年(嘉承2年)に建立された。
浄瑠璃寺境内(庭園)は国特別名勝・史跡に指定されている。
三重塔 九体阿弥陀堂側から三重塔を望む
浄瑠璃寺三重塔(国宝)。西の九体阿弥陀堂と向合う。
1178年(治承2年)京の一条大宮から移築されたと伝わる。
薬師如来像(国重文)を安置。
九体阿弥陀堂側(彼岸)から宝池を挟んで三重塔(此岸)を望む。
手前の石灯篭(国重文)は室町時代の建立。
県道より山門に至る参道 三重塔側から本堂を望む 鐘楼
県道より山門に至る参道。左側の石塔には梵字の(ア)の字を四方に刻む。南北朝のものと伝わる 三重塔側(此岸)から本堂(彼岸)を望む。手前の石灯篭(国重文)は1366年(貞治5年)建立の銘がある。 鐘楼。 山門を入った左手に建つ。周りを樹木に囲まれ、見落してしまう所だった。
中島に祀られている弁天祠 池の端の一角を仕切っての発掘調査 境内の一角に集められていた石仏
宝池(ほうち)の中島に祀られている弁天祠。 石鉢(鎌倉時代)が置かれている池の端の一角を仕切り
発掘調査が行われている(この場所は昨年(平成23年)発掘された第1トレンチ)。
境内の一角に集められていた石仏
 
ご朱印
浄瑠璃寺朱印