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京都・楽土の道
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石清水八幡宮
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石清水八幡宮摂社・末社
[参考資料:「現地案内板」、『日本歴史地名体系』(京都府の地名編)平凡社]

石清水八幡宮はその成立事情より、当社から加茂社・松尾社などと並び7社奉幣などがなされていたが、『日本略記』延喜16年(916年)の条には、同年には加茂社を抜いて奉幣第1社となったと記されている。また、939年(天慶2年)には伊勢に次いで奉幣され、この頃には伊勢に次ぐ第2の宗廟たる地位を獲得していた。
 摂社・末社については江戸時代の記録では30社余りが記載されているが、現在では境内・境外合わせ摂社8社・末社7社が祀られている。

摂社・高良社正面鳥居 摂社・高良社正面本殿 ご神木タブの木
摂社・高良社、高良玉垂命を祀る。頓宮南門を出て右側に鎮座する。写真は左から 高良社正面鳥居、本殿、ご神木タブの木。
豊前国(現大分県)宇佐八幡宮より八幡大神を勧請した行教が、860年(貞観2年)に社殿を建立したと伝える。社名は、861年(貞観3年)の『行教夢記』に川原神と見え、『男山考古録』には瓦社とも記し、カワラ神社と称したとする。放生川の側の山裾に鎮座しているので河原社と称したと言い、後に河原がなくなり、筑前国高良大社の神名が似ているので、同社をここに遷したとも伝える。 1868年(慶応4年)戊辰戦争の兵火で焼失、現在の社殿は1884年(明治17年)に再建されたもの。
兼好法師の『徒然草』第52段に仁和寺の僧が「年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて」一人で参拝した。山上に本宮のあることを知らず、他の人は山を登っていたが、自分は登らず「極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て」帰ったという話を載せ、「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」と結んでいる。昔も今も初めての所を訪れる時は、案内人や案内書があれば心強いことは言うまでもない。
本殿と摂社・若宮社 摂社・若宮社(国重文) 摂社・若宮殿社(国重文)
本殿の一部(手前)とその後ろの建物は摂社・若宮社。
若宮社は摂社中最も大きな社殿である。
摂社・若宮社(国重文)、仁徳天皇を祀る。860年(貞観2年)本宮鎮座の時、行教が祭祀したと伝わる。 摂社・若宮殿社(国重文)、応神天皇皇女を祀る。若宮同様、860年(貞観2年)本宮鎮座の最初より奉祀されたという。
摂社・水若宮社(国重文) 末社・気比社 末社・龍田社(左)、貴船社(右)
摂社・水若宮社(国重文)、宇治雅郎子を祀る。良縁成就の神。左隣は末社・気比社。 末社・気比社、気比大神を祀る。必勝の神。 末社・龍田社(左)、級津彦命・級津媛命を祀る。
貴船社(右)高オカミ神を祀る、雨乞・水乞の神。
末社・一童社 摂社・住吉社(国重文) 末社・長田社(左)、生田社(中央)、広田社(右)
末社・一童社、磯良命を祀る。漁業安全繁栄の神。 摂社・住吉社(国重文)、住吉3神を祀る。海上安全・交通安全の神。 末社・長田社(左)事代主命を祀る、商売繁盛の神。
生田社(中央)稚日女命を祀る、心身健康・長寿の神。
広田社(右)天照大御神を祀る、勝運の神。
末社・三女神社 末社・竃神殿 末社・大扉稲荷社
末社・三女神社、宗像三女神(田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神)を祀る、海陸運の交通安全の神。 末社・竃神殿、迦具土神他3神を祀る。台所守護の神。南総門の手前に鎮座する。 末社・大扉稲荷社、御食津神を祀る。商売繁盛の神。
表参道・七曲がりを過ぎた分岐点に鎮座する。
元末社・相槌神社 通行止めの裏参道 通行止めの松花堂跡への道
元末社・相槌神社、倉稲命を祀る。鍛冶・冶金の神。
表参道・七曲がりすぐ下の山麓に鎮座する。
昨年(平成24年)8月、京都府南部を襲った集中豪雨は宇治市を中心に大きな爪痕を残したが、当社でも参道が崩れるなどの被害を受けた。今年4月時点でも裏参道は通行止めとなっており、この参道から行く摂社・石清水社などは参拝できなかった。 表参道から松花堂跡地へ向かう道も通行止めになっており、松花堂跡地の見物はもとより、この道からも摂社・石清水社の参拝叶わなかった。