兵庫第15番 | |
中山寺・1へ |
[参考資料:『古寺名刹大辞典』金岡秀友編 東京堂出版&現地案内板] |
中山寺は平安時代、花山天皇(在位:984~986年)や後白河天皇(在位1155~1158年)が深くこの寺の観音に帰依し、たびたび臨幸があり、一時は僧坊80院にもおよび、比叡・高野山とならび称せられた。 その後、多田源氏満仲が領主となり、庇護を受けたが、平氏が壇の浦で全滅する直前に安徳天皇をかくまっているという疑いから、焼きは払われた。鎌倉時代に入り、源頼朝の援助を受けて再興し、30余の堂坊が建立され,壮観であったという。 室町時代の1404年(応永13年)の火災には領主塩川国光が寄進し、諸堂造営が行われた。天正年間(1573~92年)には兵火により再び荒廃したが、豊臣秀頼の寄進により再建している。 慶長年間には堂宇が整い、1594年(文禄3年)の「中山寺検知帳」では僧坊も10を数えたが、1665年(1665年)には半数の5坊になり、寺勢は衰えた。現在の塔頭は1674年(延宝年)京都仁和寺より、院号を下付され、現在に至っている。 |
子授け地蔵。 | 寿老神堂。 寿老神(人)は7福神の中では長寿の象徴とされる。 客仏として午年うまれの守り本尊勢至菩薩を祀る。 |
大黒堂。 大黒天は古代インドではシバ神と胴体の大自在天の化身であったが、仏教に取り入られてからは寺院の守護神、さらには財福神としての性格が与えられた。 客仏として子年生まれの守り本尊千手観音座像を祀る。 |
亥の子地蔵(北向地蔵)。 |
鎮守社。 | 厄丸大明神(稲荷社)。大師堂の隣に祀られている。 |
塔頭・総持院。山門をくぐった左手にある。 | 塔頭・宝蔵院。 | 塔頭・観音院。 |
塔頭・華蔵院(上)と山門をくぐった右手にあるもう1つの門(右)。塔頭も中でもっと大きい寺院である。 | 塔頭・成就院。 | |
境内、大黒堂の横の山腹にある横穴式古墳「石のカラト(唐櫃)」。神功皇后と不和になり、殺害された仲哀天皇の后大仲姫の墓ともいわれており、石窟内には、石棺が安置されている。兵庫県指定文化財。 | ||
羨道の長さは9.2m、幅2.5m、高さは2.4m。 |
玄室の長さ3.6m、幅2.5m、高さ3.2m。石棺の長さは1.8m、幅1.07m、左右に各2の縄掛け突起をつける。 |