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滋賀・欣求の道
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滋賀第4番
西明寺
宗 派 天台宗
本 尊 薬師如来
参拝メモ
[参考資料:『滋賀県の歴史散歩』山川出版社、『近江湖東二十七名刹巡礼』朱鷺書房]

西明寺は湖東三山の中で一番北に位置する。寺伝によれば834年(承和元年)、伊吹山の開山上人と伝えられる三修上人の創建と伝える。836年(承和3年)には仁明天皇の勅願寺となり、寺領が寄進され、諸堂が建築されたという。 平安時代から中世へかけての寺歴は必ずしも明らかではないが、この時代は祈願・修行道場として栄え、17の諸堂、300余の僧坊があり、数百人修行僧が居住する大寺院であったのあったといわれており、源頼朝が戦勝祈願のため来山をしたと伝える。
  1571年(元亀2年)織田信長は比叡山延暦寺の焼き討ちを行った直後、西明寺も信長配下の丹羽長秀により焼き討ちにあった。幸いにして、奥に位置する本堂、三重塔、二天門は焼失をまぬがれたが、他の堂宇の全てが兵火を被り、この兵火の後は荒廃は著しく進んだ。
  江戸時代に入り、寛文年間(1661~73)には彦根藩家老木俣清左衛門が部分的修繕を行い、延宝年間(1673~81年)には公海大僧正の尽力により、望月友閑に復興を命ぜられた。1681(天和元年)からは本堂・三重塔の大修理が行われ、祈願・修行道場として復興したが、旧観に復するには至らなかった。

西明寺山門 西明寺二天門
西明寺山門。 西明寺二天門(国重文)。二天(持国夫、増長天)が安置されている。
西明寺本堂 西明寺三重塔
西明寺本堂(国宝)。鎌倉時代初期建立で、総檜皮葺の入母屋造りで
瑠璃殿の名がある。飛騨の匠が釘を1本も使用しないで建てている。
1897年(明治30年)国宝第1号に指定されている。
西明寺三重塔(国宝)。鎌倉後期の建立。本堂同様、飛騨の匠が釘を
1本も使用しないで建てた。
西明寺鐘楼 紅葉が真っ盛りの西明寺参道 二天門手前右側に聳える夫婦杉
三重塔の横に建つ鐘楼。梵鐘は1968年(昭和43年)の鋳造。 紅葉が真っ盛りの参道。 二天門手前右側に聳える霊木。樹齢1000年と推定され、幹が途中で二又に分かれていることから夫婦杉と呼ばれる。良縁、夫婦和合、子授け、安産に霊験あらたか。
西明寺鐘楼 西明寺鐘楼 西明寺鐘楼
蓬莱庭出入門。 蓬莱庭。江戸初期、望月友閑の作庭になる池泉観賞式庭園で、国の名勝庭園に指定されている。
西明寺蓬莱庭の塀の外側の紅葉 境内に建つ十一面観音菩薩 伝教大師最澄像
蓬莱庭の塀の外側の紅葉。 境内に建つ十一面観音菩薩。 伝教大師最澄像。
境内に咲く不断桜 境内に祀られている龍神社 境内に祀られている稲荷社
境内に履く不断桜(滋賀県天然記念物)。例年9月上旬に咲き始め、11月には満開となる。 境内に祀られている龍神社。 境内に祀られている稲荷社。

ご朱印
西明寺朱印