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亀遊島弁財天。東大門近くに鎮座。現地の案内板には由緒が記されておらず、詳細不明だが、「至心に祈れば、智恵弁才・福徳円満・子孫繁栄に霊験があり」とあった。 |
石神堂。牛王尊を祀る。四天王寺建立の際に、材木を運搬していた牛が伽藍が完成すると石神に変わってしまったという伝えがあり、その石神の上に堂が建てられた。 |
番匠堂。中心伽藍東重門の外側の傍らに建つ。堂内には曲尺を持つ聖徳太子像が祀られており、建築関係者の信仰が篤い。前に建つ「六字名号」の石碑が一画、一画を鋸・錐・鉋など大工道具をデザインした文字で書かれている。 |
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普賢菩薩石像。番匠堂に並んで建つ。「法華経」を信仰する者の前に、六牙の白象に乗って出現し、守護すると説かれる。中央伽藍の東塀に外側に安置されているが、何故この場所に安置されているのかの解説はなかった。 |
西門(極楽門)に取り付けられている転法輪。
案内板には「先ず合掌し、『自浄其意(じじょうごい)』と唱え、軽く右に回せば、釈尊の教えが転じて伝わる」とあった。俗説には3回回すと手を洗ったことになるらしい。 |
義経のよろい掛け松と呼ばれる松が西門の近くにある。源義経が四天王寺にも来ていたとは。松は老木と言えるものではなく、由来も詳しく書かれていなかった。 |
四天王寺四石:四天王寺境内に「四石」と呼ばれる4つの霊石(熊野遥拝石、伊勢遥拝石、転法輪石、引導石)がある。 |
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南大門を入ったところにある熊野権現礼拝石。四天王寺の西門信仰と同じく、熊野三山が極楽往生を願う浄土信仰の聖地として、篤く信仰されたことから、人々はまず当山に詣でた後、ここで熊野までの道中安全を祈った。 |
東大門を入ったところにある伊勢神宮遥拝石。江戸時代に著された『摂津名所図会』にも天照大神遥拝所と記載されており、当時から人々は当寺に詣で、伊勢神宮を
遥拝していた。元は東大門外にあったものを、明治年間に門内に移した。 |
中心伽藍の金堂前にある転法輪石。この石は見た目にも新しく大理石に転法輪が描かれている。元の転法輪石はこの転法輪石の下の埋め込まれている。 |
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石鳥居をくぐったところにある聖徳太子影向引導石(左の写真)と聖徳太子の引導鐘(右の写真)。古くから葬送の時、しばらく棺を鳥居の前に置き、太子の引導鐘を3打撞けば、太子が自らこの引導石に影向され、極楽浄土に導くと伝えられる。この引導石は太子信仰と西門信仰(浄土信仰)を結ぶ重要な霊跡となっている |
行者満願供養塔。1862年(文久2年)の建立。江戸時代、人々が自由に往来することが禁止されていたので、行者と呼ばれる人達が人々に代わり、全国の霊場を参拝した。この供養塔は西之坊(現住吉区)が組織した住吉組の真道という行者の西国巡礼を記念して建立した。 |
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石鳥居の扁額。塵取りの形の扁額には「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書かれており、平安時代の昔から四天王寺は 西方にある極楽浄土へ向かう東門にあたるとされた。 |
亀の池と道を挟んで東側にある丸池の端に建つ、釈迦如来像(上の写真)とその前にある仏足石(右の写真)。は釈尊が入滅したときの足型を仏足跡といい、それを石に刻んだものが仏足石という。昔、インドでは仏像を作ることが畏れ多くて、足型を造り、釈尊がそこに居られる証しとして、礼拝していた。 |
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石鳥居の傍らに建つぽんぽん石(右)。ぽんぽん石の前で手を叩き、穴に耳を当てるとあの世のご先祖様の声が聞けるという。なお、鳥居の根元には蛙が彫ってあるといわれているが(根もとの突起物)、風化しており確認は出来ない。 |
宝物館の前に展示されている石棺蓋。この石棺蓋は荒陵(あらはか:現在の茶臼山付近)から出土したものとされる。四天王寺の山号、荒陵山はこの荒陵から来ている。江戸時代にはその形態から、巻物石、蛙石とも呼ばれていた。 |
宝物館の前に展示されている石の鳥居の笠石の一部分。この鳥居の部分品は忍性上人の発願により、1294年(永仁2年)鳥居を木製より石造に改めた時の一部と伝える。 |