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奈良・鎮護の道
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東大寺境内の墓
[参考資料:]

檀家を持たない東大寺では葬儀は行われず、境内に墓地と呼ばれるものはない。塔頭や末寺の中には五輪塔や墓が建てられている所もあるとのことだが、一般観光客の目に直接触れることは先ずない。下の写真は東大寺境内を散策中に見かけた墓地と墓石である。
 尤も、興福寺一乗院門跡の墓は元は興福寺一乗院の墓地で、現在も東大寺境内ではなく興福寺の飛地境内かも知れない。

・更新記録
 '13・09・11 二月堂裏参道の墓石
 写真追加
 '13・10・10 俊乗堂、行基堂横の墓石
 写真追加
墓の主を示す石標 一段高いところにある墓石 墓地全景
元興福寺一乗院墓地。現在は宮内庁の管理下にあり、立ち入ることは出来ない。一段と高いところに柵があるのが尊覚法親王(後陽成天皇第10皇子 1661年(寛文元年)没)と真敬法親王(後水尾天皇第16皇子 1706年(宝永3年)没)の墓。両親王のほかに同じ規模の墓や、それ以上に大きな墓があるが誰の墓なのか案内板はなかった。
東大寺境内の墓石 建立年号が判読できる墓石 東大寺境内の墓石
東大寺境内の墓石。これらの墓は、大仏殿から戒壇院に通じる道端の2ヶ所に集められている。何故この場所に墓があるのかはよく解っていないが、一説にはこの近くを流れる川の底を浚ったとき、これらの墓が見つかったので、ここに集めて弔ったとも言われている。年号は寛文6年(1666年)と享保5年(1720年:中央の写真)の2基が確認できた。
二月堂裏参道の墓石 二月堂裏参道の墓石 二月堂裏参道の墓石
二月堂裏参道の墓石。大仏殿の北側の道を二月堂に向かって歩いていくと、大湯屋に曲がる手前の所に、墓石であったと思われるものが集められており、花や水が手向けられている。(左の写真 奥に見える建屋は大湯屋、右の写真 正面の建屋は塔頭宝厳院の塀)
俊乗堂北側の墓石 俊乗堂北の墓石 行基堂横の墓石
俊乗坊重源が祀られている俊乗堂の裏手(北側)、大湯屋に下りる階段の横にかなり風化が進んでいるが、四方に梵字が彫られた墓石と思われる大きな石がある。 行基堂の横にも墓石と思われる石塔が集められて
  いる。
塔頭・龍蔵院横の墓石 塔頭・龍蔵院横の墓石
東大寺塔頭・龍蔵院横(北側)の墓石。花立には持宝院の名が書かれてあった。 右端の墓石。刻まれている日付は「正徳五乙未年(1715年) 九月廿四日」と読める。