神仏霊場・表紙 > 奈良・鎮護の道 >石上神宮

神仏霊場を行く
奈良・鎮護の道
神仏霊場のロゴをクリックすれば表紙に、奈良・鎮護の道をクリックすれば奈良霊場の目次に戻ります。
奈良第6番
石上神宮
主祭神 布都御魂(フツノミタマ)大神
布留御魂(フルノミタマ)大神
布都斯魂(フツシミタマ)大神
参拝メモ
[参考資料:『ご由緒のしおり』 石上神宮パンフレット]

当神宮は、日本最古の神社の一つで、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留の高庭に、石上大神(現祭神の3大神の総称)を祀ったのを始まりとし、物部氏の総氏神として、り健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきた。
  平安時代後期、白河天皇の崇敬が殊に篤く、現在の拝殿は天皇が宮中の神嘉殿を寄進されたものと伝える。中世には、興福寺の荘園拡大・守護権力の強大化により、布留川を挟み南北二郷からなる布留郷を中心とした氏人は、布留一揆で同寺とたびたび抗争を繰り返した。 戦国時代には、織田信長の軍勢の乱入により社頭は破却され、千石と称した神領も没収され衰微していったが、氏子たちの信仰は衰えず、 明治になり、1871年(明治4年)官幣大社に列し、1833年(明治16年)には神宮号復称が許され、現在に至っている。
  当神宮にはかつては本殿がなく、拝殿後方の禁足地をご本地と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていた。1874年(明治7年)菅政友大宮司が禁足地が発掘し、ご神体の出御を仰ぎ、1913年(大正2年)本殿が造営されている。

石上神宮鳥居 石上神宮楼門(国重文)
石上神宮大鳥居。扁額は「布都御魂大神」となっている。 石上神社楼門(国重文)。南北朝時代、1318年(文保2年)の建立。
正面に掲げてある扁額の「萬古猶新」の字は、山縣有朋の筆による。
石上神宮拝殿(国宝) 摂社出雲建雄神社拝殿(国宝)
石上神社拝殿(国宝)。拝殿としては現存する最古の建物。 白河天皇が永保元年(1081)に宮中の神嘉殿を寄進したと伝わる。 摂社・出雲建雄神社拝殿(国宝)。明治初年の神仏分離令により廃絶した内山永久寺より1914年(大正3年)に移築した。
建立年代は、1137年(保延3年)に建立され、その後13・14世紀に2回の改築により現在の構造・形式になったと考えられている。
「布留社」の名が刻まれている灯篭 摂社出雲建雄神社(左)、末社猿田彦神社(右) 摂社・天神社
「布留社」の名が刻まれている灯篭 摂社・出雲建雄神社(左)。延喜式内社で、草薙剣の荒魂である 出雲建雄神を祀る。
末社・猿田彦神社(右)主祭神は猿田彦神。永久寺の鎮守社の住吉社を合祀。底筒男神、中筒男神、上筒男神、息長帯比売命、高靇神(タカオカミ)を配祀神として祀る 。
摂社・天神社。高皇産霊神(カタムスビノカミ)・神皇産霊神(カミムスビノカミ)を祀る。
摂社・七座社 境内に飼われているニワトリ 鏡池
摂社・七座社。左より、大直日神、御膳都神、魂留産霊神、生産霊神、足産霊神、大宮能売神、辞代主神。 境内に飼われているニワトリ 鏡池。池には「ワタカ」(奈良県指定天然記念物)という日本特産の鯉科の淡水産硬骨魚が生息している。
南北朝時代の鎧櫃(よろいびつ) 永久寺の名が入っている手押しポンプ 柿本人麻呂の歌碑
応安二年(1368年:南北朝時代)の墨書銘が入っている鎧櫃(よろいびつ)。 永久寺の名が入っている手押しポンプ 柿本人麻呂の歌碑(万葉集巻四・501)。『をとめらが 袖振山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき我は』。碑文は万葉仮名で書かれている。
ご朱印
石上神宮朱印