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奈良・鎮護の道
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奈良第16番
朝護孫子寺・5
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道標・石標
[参考資料:]

朝護孫子寺-3の宿坊のページで竜田大橋東詰めに立つ「光明院」の道標について触れたが、道標がいつの間にか姿を消したので、移転先を探していたところ、 偶々目にした奈良県三郷町の広報誌『さんごう』の「三郷路 ふるさと散歩」のコーナーに三郷町町内に立つ〔宿坊光明院の道標〕と同じものが竜田大橋東詰めと王寺町役場南にもあるとの記載があり、現物確認に行った。

道標が建てられた時期やデザインや全く同じであったが、最初に立てられたのが文政2年(1819年)で、それから約200年の年月の経過しており、それぞれの立地条件が異なるためか、写真でも判るように、①竜田大橋東詰め(現信貴山)>②三郷町町内>③王寺町葛下川土手の順で保存状態がよく、葛下川土手に立つ道標は風化が進み、角が取れ、文字の彫りも浅くなっていた。


朝護孫子寺の入り口駐車場近くに立つ「宿坊・光明院」の道標 (元は竜田大橋東詰めに立っていた道標)
護孫子寺の入り口駐車場近くに立つ道標 護孫子寺の入り口駐車場近くに立つ道標 護孫子寺の入り口駐車場近くに立つ道標
今まで立っていた国道に比べ、車の通行量は極端に少ない。まずは道標の存在に気づく人もいないようだ。 正面上部には『西是従』とあるが、現在の立地場所では「すぐそこ」とでも表記すべきところに立つ。 右側面上部には『左 だるまじ たえま道』とあり、間違いなく竜田大橋東詰めに立っていた道標と思われる。

生駒郡三郷町勢野東2丁目に立つ「宿坊・光明院」の道標
三郷町勢野2丁目に立つ道標 三郷町勢野2丁目に立つ道標 三郷町勢野2丁目に立つ道標
三郷町広報誌によれば、この場所は旧奈良街道と信貴山
参道の分岐点近くにあり、かってはここに朝護孫子寺の「一の鳥居」も立っていたが、安全の点から鳥居は撤去され、現在は朝護孫子寺の境内の中に移されている。
正面上部に上の道標にある『西是従』の文字がない。 右側面上部には『是ヨリ二町西ニ本道立石阿リ』とあり、上の道標と文言が異なっている。

北葛城郡王寺町王寺2丁目に立つ「宿坊・光明院」の道標
王寺町役場の裏手に立つ道標 王寺町役場の裏手に立つ道標 王寺町役場の裏手に立つ道標
王寺町役場の裏手、大和川支流葛下川の土手に立つ道標。 正面上部『左是従』とある。上記2基にはある台座部分が無い。 右側面上部には『右 たいま(?) ほうりゅじ』と読める。
王寺町役場の裏手に立つ道標
道標の裏側に回ってみると、他の2基の台座の左側に彫られていた「世話人 大阪 寅日講」の文字があり、碑を建てた江戸 尾張屋太郎兵衛と大阪の世話人 寅日講との関係は不明だが、この碑は最初から台座は作らなかったようだ。