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奈良・鎮護の道
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奈良第16番
朝護孫子寺
宗 派 信貴山真言宗
本 尊 毘沙門天
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大阪再発見 朝護孫子寺へ
参拝メモ
[参考資料:朝護孫子寺ホームページ、『古寺を行く・信貴山』小学館ウィークリーブック ]

信貴山真言宗の総本山である朝護孫子寺の創基は、寺伝によれば587年(用明天皇2年)聖徳太子物部守屋討伐に向かう途中、信貴山上で毘沙門天に戦勝祈願を行ない、討伐に成功したので、この地に毘沙門天を祀り、「信ずべき、貴ぶべき山=(信貴山)」と名付けたという。
 延喜年間(901~23年)命蓮上人が入って、中興。醍醐天皇の病平癒に命蓮の加持が効いたことにより、「朝廷を子々孫々にわたり守護せよ」との意から「朝護孫子寺」の寺号を賜り、皇室や武家からの信仰も厚くなった。楠木正成の母が毘沙門天に祈願し、正成が生まれたという逸話も残す。
 戦国時代には松永久秀がこの地に信貴山城を築いたが、1577年(天正5年)、織田信長に攻められて堂宇が喪失。本堂は1602年(慶長7年)に豊臣秀頼が再建(一説には、文禄年中(1592~96年)に豊臣秀吉が再建とも伝える)。江戸時代には徳川氏の保護のもとで復興が進んだ。


朝護孫子寺山門(仁王門) 世界一の張り子の大虎
朝護孫子寺山門(仁王門)。1760年(宝暦10年)再建、1881年(明治14年)に大修理。1922年(大正11年)に現在地に移転、修復。 朝護孫子寺本堂を見守る高さ3m・長さ6mもある世界一の張り子の大虎。本尊の毘沙門天が寅の年、寅の日、寅の刻に出現したとの故事に因み、1986年(昭和61年)に信者から寄進された。
朝護孫子寺本堂への階段 朝護孫子寺本堂
朝護孫子寺本堂への階段。 朝護孫子寺本堂。本堂は1577年(天正5年)松永久秀信貴山城落城の際、焼失。その後、豊臣家により再建、後に修復を加え、1746年(延享3年)に完成されたが、1951年(昭和26年)に焼失、1958年(昭和33年)に復興した。

朝護孫子寺赤門 朝護孫子寺開山堂 朝護孫子寺本坊
朝護孫子寺赤門。1793年(寛政5年)再建。 朝護孫子寺開山堂。1722年(享保17年)建立。聖徳太子、弘法大師、歓山上人、命蓮上人を祀る。 朝護孫子寺本坊。安政年間(1854~60年)大阪堂島の篤信家が寄進。
朝護孫子寺三宝堂 朝護孫子寺虚空蔵堂 朝護孫子寺一切経堂
朝護孫子寺三宝堂。阿弥陀如来、不動明王、三宝荒神
を祀る。
朝護孫子寺虚空蔵堂。徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院の寄進により1701年(元禄14年)の建立。
丑年・寅年生まれの守り本尊。
朝護孫子寺一切経蔵。中央に回転できる経厨子があり、中に仏教のあらゆる法門の経典を集めた「一切経」を納める。回転させる毎に「一切経」をすべて読誦したのと同じ功徳があると言われる。
朝護孫子寺飛倉館(宝庫) 朝護孫子寺鐘堂 朝護孫子寺多宝塔
朝護孫子寺飛倉館。信貴山縁起絵巻にもある、飛倉の名がつけられた信貴山の宝庫。 朝護孫子寺鐘堂。1687年(貞享4年)再建。梵鐘銘に信貴四郎とあり、南部遠明の家臣・田部井十郎が鋳造して奉納。 朝護孫子寺多宝塔。祭壇に大日如来を安置。1689年(元禄2年)建立、1882年(明治15年)に修復。
朝護孫子寺行者堂 朝護孫子寺剣鎧護法参道 朝護孫子寺剣鎧護法堂
朝護孫子寺行者堂。役行者を祀る。 朝護孫子寺剣鎧護法堂参道。 朝護孫子寺剣鎧護法堂。無病息災、病気全快の霊験あらたかな神として信仰が篤い。
朝護孫子寺空鉢護法堂参道 朝護孫子寺空鉢護法堂 朝護孫子寺空鉢護法堂
朝護孫子寺空鉢護法堂参道。行者堂から片道約20分の山道を登って行く。 朝護孫子寺空鉢護法堂。竜王を祀る。「一願成就」の霊験あらたかな守護神として信仰が篤い。 朝護孫子寺空鉢護法堂の裏側には数多くの神が祀られている。

空鉢護法堂と剣鎧護法堂の堂名は当寺に伝わる『信貴山縁起(国宝)』のうち、「山崎長者(飛倉)の巻」に載る命蓮の法力(飛鉢の法)で山崎長者の倉を信貴山まで飛ばす逸話と「延喜加持の巻」に載る命蓮が法力で剣の護法童子を宮中に遣わして醍醐天皇の病を治す逸話に由来する。

 『信貴山縁起』は平安時代後期の1150年頃成立、作者不詳。全3巻からなり、寺院の縁起絵巻でありながら、説話絵巻の要素を取り入れ、人物の表情や躍動感を軽妙な筆致で描いた絵巻の一代傑作と言われる。現在、実物は奈良国立博物館に委託され、普段は霊宝館で模本が展示されているが、毎年秋には実物の一部が里帰りし、公開される。

  余談だが、明治初年の廃仏毀釈は信貴山にもその波が押し寄せて来ている。明治21年の奈良県庁の行政資料(奈良県立図書館蔵)の中に、寺から知事あてに「維新以来、寺は廃絶状態にあるので、『信貴山縁起』3巻ほかを皇室に献納する代わりに一万円を下賜するよう」訴えている書面が残されている。ただ、この書面は寺から自発的に出されたものではなく、奈良県から御物への献納を促したことへの回答であり、そのまま皇室の御物として収まっておれば、現在のように我々が直接に実物を見る機会が無くなっていたかも知れない。


ご朱印
朝護孫子寺朱印