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京都・楽土の道
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京都第1番
石清水八幡宮
主祭神 誉田別尊(ホンダワケノミコト)
比咩大神(ヒメオオカミ)
息長帯比賣命(イキナガタラシヒメノミコト)
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参拝メモ
[参考資料:石清水八幡宮パンフレット、『日本歴史地名体系』(京都府の地名編)平凡社]

石清水八幡宮寺の創立の経緯を詳細に述べている『石清水八幡宮護国寺略記』(原本は現存せず、鎌倉時代の写本は国重文)によれば、859年(貞観元年)南都大安寺の僧行教は、豊前国(現大分県)宇佐宮に参拝したところ、八幡大菩薩が行教の修善に感応し、近都に移座し国家を鎮護しようと託宣した。そこで京に上がろうとして、まず現在の山崎離宮八幡(現大山崎町)の地に至り、ここで再び八幡神が示現して男山に移座することを宣した。そこで、宇佐勧請を朝廷に奏請し、清和天皇は木工権允橘良基に命じ、宇佐に準じて六宇の宝殿を造営させ、翌2年ご神体を遷座し、祭祀したという。 
  979年(天元2年)円融天皇の行幸以来、天皇・上皇の参詣は度々あり、一代一度の参詣が恒例とされ、伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟とも称された。また、武家では特に源氏が武神として信仰し、源氏の広がりとともに、源頼義による壺井八幡宮や頼義・頼朝による鶴岡八幡宮など、当社から勧請された八幡宮が各地に建立されている。
 1868年(慶応4年)の神仏分離令により、八幡大菩薩を「八幡大神」と改め、1871年(明治4年)官幣大社に列し、社号を「男山八幡宮」と改称されるが、1918年(大正7年)には再び、創建以来の「石清水八幡宮」に改称した。

石清水八幡宮一鳥居 石清水八幡宮南総門
石清水八幡宮一の鳥居。扁額は一条天皇の勅額で、天皇の勅に
より藤原行成が長徳年間(995~999年)に書いたものを松花堂昭乘
が1619年(元和5年)に、行成筆跡の通りに書写した。
石清水八幡宮南総門。現在の南総門は1938年(昭和13年)の再建。
石清水八幡宮上院社殿 石清水八幡宮下院・頓宮
石清水八幡宮上院社殿。社殿は「八幡造」と呼ばれる独特の構造。楼門から奥へと、いずれも国重文の、舞殿・弊殿・本殿と続く。 現在の社殿は1634年(寛永11年)徳川家光の修造による。
平成17年から始まった平成の大修造1期工事で平成21年3月に本殿
及び瑞籬、幣殿、舞殿、楼門の修復工事が完了した。
石清水八幡宮下院・頓宮殿。祭事における神輿の待機所(お旅所)。
現在の頓宮殿は、1868年(慶応4年)の戊辰戦争・鳥羽伏見の戦いで
焼失し、男山48坊の一つ、岩本坊の神殿を移築し仮宮としていたが、1914年(大正3年)に檜皮葺素木造に建替えられが、平成の大修造
で銅板葺屋根に葺替えられた。


石清水八幡宮頓宮北門 石清水八幡宮頓宮南門 石清水八幡宮二の鳥居
頓宮北門。この門は元は昭和天皇の即位に際し、京都御所にある春興殿の正門として建てられたもので、大礼終了後の1928年(昭和3年)に当地に移された。 頓宮南門。元の南門は1868年(慶応4年)の戊辰戦争で焼失。1938年(昭和13年)に本宮の旧南総門を現在地に移築し、平成の大修造で銅板葺屋根に葺替えられた。 二の鳥居。鳥居の向こうに延びる道は表参道。
石清水八幡宮三の鳥居 三の鳥居からの参道 神馬殿
三の鳥居。 三の鳥居からの南総門までの参道。両側には合わせて約400基の石造灯篭が並んでいる。 神馬殿。三の鳥居と向かうように建っている。
石清水八幡宮 石清水八幡宮校倉 神楽殿と楠木正成のお手植えの楠
御羽車舎。元は慶長年中(1596~1615年)に豊臣秀頼母(淀君)が再興した宗版一切経を納める経蔵であった。明治の神仏分離で羽車2基を納め「御羽車舎」と改称。 校倉(京都府重文)。建築年代が明確ではないが、文書や絵図などには江戸時代中期から存在している。社殿の北西の隅に建つ。元は経蔵が建っていたが、建武年中(1334~1338年)に火災に遭ったとも伝わる。 神楽殿(左端の建物)と樹齢700年と言われる大楠。この木は楠木正成が参拝の折、奉納したと伝える。
また、本殿を囲むように作られている築地塀は、信長塀とも呼ばれ、織田信長好みの様式とされ、瓦と土を幾重にも重ねたもので、耐火性、耐久力に優れているという。
豊蔵坊跡地 エジソン記念碑 シンボルタワー・涌峯塔
豊蔵坊跡地。1863年(文久3年)4月、孝明天皇の攘夷祈願がここ豊蔵坊で行われ、天皇の当宮社参は、勤皇派に大きな弾みを与え、討幕へと進んだ。
創世期より神仏習合の代表的存在であった当社は神仏分離令により、当時あった23の諸坊は全て廃止され、境内地から追放された。(俗に男山48坊と呼ばれ、最盛期には50近くの坊が存在した)
エジソン記念碑。発明王エジソンは白熱電灯のフィラメントの材料を世界中に求めた結果、日本の竹、中でも当社の真竹が尤も優れていることを実験を通じて知り、この竹を用いて初めて実用的な白熱灯を完成させた。最初の記念碑は1934年(昭和9年)建てられ、元は本殿の北側にあったと記憶しているが、1958年(昭和33年)に現在地に移され、1984年(昭和55年)現在の姿に再建された。 境内西側に建つ「涌峯塔」。シンボルタワーとあったが、傍らに八幡市の観光地図の看板が建てられていたので、これと関係があるのかもしれない。
ご朱印
石清水八幡宮朱印




一の鳥居の扁額を拡大した。
八の字が鳩の形になっている。
鳩は八幡の神使である。